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レイカの水稻班日記

宜蘭小農食譜

-水稻クラス 第 5 回

日期:(四月第二週開講)2023.4.8

天氣:陰

當到達田地時,曾文昌老師立即向我們介紹當天的行程。我明知道這樣做有點失禮,但我的心思卻完全不在老師身上。因為在老師身後,有二三十隻鳥兒在田地上盤旋飛翔。我的目光完全被牢牢吸引住了。這些鳥兒只在我們的田地範圍內盤旋,並不會飛到旁邊的田地去。為什麼呢?也許是因為鳥兒害怕農藥?又或者是因為我們的田地裡有很多供鳥兒覓食的生物?我思考了很多,但對於無法分辨鳥兒種類的我來說,絕對無法找到答案
田んぼに着くと、さっそく曾(ゼン)先生が一日の行程を私たちに伝える。失礼だと分かっていながら、私は心ここにあらずの状態で先生の前に立っていた。なぜなら、先生の後ろで、2、30羽の鳥がぐるぐると田んぼの上を飛び回っているからだ。私の目はそっちに釘付け。鳥たちは隣の田んぼの方には行かず、ずっと私たちの田んぼの区域だけをぐるぐる飛び回っている。なぜだろう、鳥たちも農薬を恐れているのだろうか。もしくはわたしたちの田んぼには、鳥の食料となる生き物が数多く生息しているからだろうか。いろいろと考えてみたが、鳥の種類も判別できない私に到底答えが分かるはずもなかった。
在第一堂課上,曾文昌老師曾經說過:”只要種植水稻,自然而然就會對鳥類更加熟悉。”確實,我也覺得與以前相比,我已經養成了觀察鳥類的動作和鳴叫的習慣。然而,對於眼前飛來飛去的鳥類究竟是什麼名字,以及它們具有怎樣的特性,我還沒有足夠的經驗和知識去判斷。
最初のクラスで曾先生は、「稲作をすれば自ずと鳥にも詳しくなる」と話していた。確かに私も以前に比べ、鳥の動きや鳴き声を観察する癖が付いてきたように思う。ただ、今目の前を飛び交う鳥が何という名で、どういう性質を持っているか判別できるほどの経験値は、私にはまだない。
今天也是一樣,我們在田區除草並且進行了福壽螺(學名:桶瓶螺)的防治工作。如果忽略了這項防治工作,田地就會被福壽螺吃得荒蕪,稻米的收成量也會減少。事實上,我管理的田地在短短的兩三天內就出現了一片空地…千萬不能小看福壽螺的行動緩慢,否則會付出慘痛的代價。

この日も雑草を抜いて、ジャンボタニシ(正式名:スクミリンゴガイ)の駆除をする。もしもこの駆除を怠れば、田んぼがジャンボタニシに食い荒らされ、米の収穫量が減ってしまう。実際に私の管理している田んぼも、たった2、3日の間に一部大きな空き地ができてしまった…。タニシの動きが遅いからと舐めてかかっては、痛い目に遭う。

每塊田地上,只要細心觀察,幾乎必定能找到福壽螺的卵。特別是在稻子的下方和田地的小路上,它們呈現出如此鮮豔的粉紅色,令人難以相信這是大自然所創造的。這些約2毫米大小的圓形卵聚集成數十至數百個,即使對於喜歡昆蟲的我來說,每次碰觸都感到有些猶豫不決。但是,最近我已經有些習慣了,能夠用手直接壓碎它們。「不能讓寶貴的田地被破壞!」我用力捏起全頭,帶著這樣的想法。福壽螺卵破裂時發出的小聲和粉紅色液體黏滯地流出…這種感覺真是奇妙而令人不寒而慄。
どの田んぼにも、目を凝らせばほぼ必ずどこかにジャンボタニシの卵がある。特に稲の下部や田んぼの畦道によく見られ、それは自然が創り出したとは思えないほど鮮やかなビビッドピンク色をしている。2mmほどの丸い卵が数十〜数百でひとつの塊となっていて、さすがに昆虫好きの私でも毎回触れるのに気が引けるビジュアルだ。ところが最近はある程度慣れてきて、素手でも握り潰せるようになった。「大切な田んぼを荒らされては困る!」という思いで指に力を入れる。プチッと弾ける感触と、ねっとり流れ出るピンクの液体…これがまた絶妙に気味が悪い。

在田間完成除蟲和除草工作後,我總是退後一步,俯視整個田地。雜草已經被清除,稻子與稻子之間恢復了應有的間隙,一條清晰的線條浮現出來。當我看到這條美麗的線條時,我才能夠自我讚美地說「今天我又辛苦的工作了一天了!」

除虫除草作業が終わった後は、必ず一歩引いたところから田んぼを見渡すようにしている。苗と苗の間にあった雑草が無くなり、田んぼに元あるべき隙間が出来て線が浮かび上がる。この綺麗な線を目にしてこそ、私は「今日もしっかり働いたぞ」と自分自身を讃えることができるのだ。
下午是楊文全老師的讀書會,或者更準確地說,是關於農業的閒談會。 老師講述了他與慢島生活的創始人賴青松先生的相遇經歷。數十年前,賴青松先生還是一位完全沒有任何農業經驗的年輕人,但如今他已能自己種稻米和蔬菜,並將其完全售完。不僅如此,他現在還在這裡向新時代的年輕人教授自然農業。賴青松先生更是令人佩服的人物,他不只培養年輕農民種植水稻,自己則作為自然農法的代表,甚至足跡遍佈國外。

午後は楊(ヤン)先生の読書会。というよりも、農業に関する雑談会と言った方が正しいだろうか。

先生が、〈スローアイランド〉の創設者である賴(ライ)さんとの出会いについて語る。

十数年前までなんの農業経験もなかった若者が、今となっては自分で作った米や野菜を売り切るようにまでなった。更には今ここでこうして、新しい時代の若者に自然農業を教えている。賴(ライ)さんに至っては、米作りのために若い農民を育成し、自身は自然農法の農民代表として国外までにも足を運んでいるから驚きだ。

在那個時候,楊文全老師向我們提出了一個問題:“農夫的定義是什麼?”

現代,人們對於參與農業的方式各式各樣。有些個人種植少量農作物並販售,有些人則自己食用不出售。還有一些人組成農業團體,建立大型溫室或工廠進行大量生產和銷售。還有一些人專門從事福壽螺的收集工作,或專注於田地的整治與優化⋯⋯像賴青松先生一樣,還有人培養年輕人為農業的發展做出貢獻。

那麼,這些被提到的人是否都可以被稱為「農夫」呢?如果不是,那你的判斷標準是什麼呢?

と、その時、楊先生から私たちに問いが投げかけられた。 「何をもって“農民”とするのか」 現代において、農業への関わり方は多種多様だ。個人で作った少量の作物を売る者、売らずに自分で食べ切ってしまう者。数十人で農業グループを結成する者、大きな温室や工場を作って大量生産・販売する者。ほか、ジャンボタニシ拾いを専門とする者、田んぼの整地を専門とする者……。賴さんのように、農業発展のために若者を育成する者もいる。 では、果たして今述べられた全ての人々は“農民”なのだろうか。違うとすれば、あなたの判断基準は…?

接著課堂上的每位學員輪流回答老師的問題

輪到我開始講話,大家都興致勃勃地聽著。我認為的農夫是指「在日常生活中有從事農業工作的生活習慣,並對自己種植生產的農作物負責任的人。」

如你所知,我本人並不是農夫。雖然我每兩天就去田地一趟,但對我來說那只是一種“農業工作”,而沒有融入到我的日常“生活習慣”中

一人ずつ順番に、答えを述べていく。 私は、「生活習慣の中に農作業があり、自身の農作物に責任を持っている者」と答えた。 知っての通り、私自身は農民ではない。二日に一回は田んぼに足を運んでいるが、それは私にとって“農作業”であり、“生活習慣”とは異なるものとして存在している。

我認為”對自己的農作物負責”是我對 “判斷是否為農夫的基準” 中不可或缺的要素。我不願意將那些粗暴對待農作物,任意灑撒農藥和肥料的人視為”優秀的農夫”。真正值得被稱為農夫的是那些用心看護作物,給予作物和環境所需並負責供應及收成的人。

自身の農作物に責任を持っているかどうかも、私の“農民判断基準”に欠かせない要素である。作物をぞんざいに扱ったり、むやみやたらに農薬や肥料を撒き散らしているような人を、「立派な農民である」と認めたくはない。愛情を持って見守り、必要なものを必要な分だけ与え、できた作物を責任持って提供する者のことこそ、農民と呼ぶべきではないだろうか。

而楊文全老師則是將農夫定義為”生產者和販售者”。

“能夠完全銷售自己的農作物” 這是楊文全老師對 “判斷是否為農夫的基準” 的看法。「即使你擁有大量的農作物收成,如果無法賣出去,那就不算數。農夫需要考慮市場需求和自己的品質管理能力,並根據這些因素制定農業計劃。」這是他的說法。

楊先生のところまで順番が回り、「私の考えは…」と話し始める。みんな興味津々の表情だ。 先生は意外にも、農民を“生産者・販売者”として位置付けしているようだった。 「自身の農作物を売り切ることができる者」それが先生の“農民判断基準”。 「どれだけ作物の大量収穫を誇っても、それらが売れていなければ話にならない。需要と自身の品質管理能力を踏まえ、それに合わせた農業計画を実行するのが農民」ということだった。
聽到有人從都市搬到鄉村並開始從事農業時,很多人可能會有種想像是到一種與社會保持一定距離的自由自在生活。這種想法並沒有錯,但如果你打算以農業為生,就不能忘記農業是一份工作。農業和人類都是社會循環中重要的一環。 在那一天,我再次意識到了這些基本的事情。
都会から田舎へ移住し、農業を始める。 そんな話を聞くと、社会と一定の距離を置いた自由自適な暮らしを思い浮かべる人が多いだろう。その考えも間違いではないが、もしもあなたが農業を軸に暮らしていくのであれば、あくまでも農業は仕事であることを忘れてはいけない。農業も人も、大事な社会の循環の一部なのだ。 そんな基本的なことを、私はこの日、再認識したのだった。
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