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レイカの水稻班日記

レイカの水稻班日記

宜蘭小農食譜

- 水稻クラス 第 8 回

日期:(五月第二週開講)2023.5.13

天氣:陰

水稻的照顧比蔬菜容易許多。不用像種植蔬菜一樣每天澆水,只需要在田裡維持穩定的水量,水稻就不太容易枯萎。
水稲の世話は、野菜よりも手がかからない。野菜のように毎日水をやらなくても、田んぼに水を張っておけば、稲が枯れることはまずないからだ。
我們的田區也種植了三個月,已經相對穩定,所以今天老師讓我們室內授課。曾文昌老師仍舊建議「有時間的話可以到田區走走」,但看起來大家並沒有太大的興趣。最近宜蘭一直下雨,濕度比平常高,一想到需要出門就感到有些低落。
私たちの田んぼも、苗を植えてから3ヶ月が経ってある程度安定したので、今日は室内授業となった。曾(ゼン)先生は変わらず「時間がある人は田んぼに足を踏み入れるように」と声をかけていたけれど、見たところみんな乗り気ではなさそうだ。最近の宜蘭は雨が続いているので湿度がいつもより高く、外に出ると考えるだけでも気が滅入ってしまう。
這時讓我突然想起來了,以前在和一位女農夫聊天的時候,她提到她為了克服這種去田間懶散的心情,她會把最喜歡的飲料裝進水壺裡一起帶過去。因此我也打算試試看。
そういえば、以前ある農家の女性と話した際、彼女は気怠さを乗り越えるために、水筒の中に一番好きな飲み物を入れて持って行くのだと話していた。私も今度試してみよう。
因此,今天整天都是室內授課。任永旭先生將是今天的指導老師。他是深溝村的稻農之一,從2022年開始就致力於用在地的稻米還開發當地的地酒。 我對永旭先生的印象是「像電腦一樣的人」。 這是因為有一次聊天的過程中,我被他腦中的強大豐富的信息量給驚訝到!
ということで、今日は一日中室内授業。永旭(ヨンシュー)さんが講義をしてくれる。2022年からこの町で地酒を開発している、米農家の一人だ。 私の永旭さんに対する印象は、“コンピューターみたいな人”。 というのも、以前、彼の頭の中の情報量に相当驚かされたことがあるのだ。

這是在課堂休息時間的事情。當文昌老師喃喃自語著「幾年前的化學肥料…嗯,是什麼來著?」時,剛好坐在旁邊的永旭先生開口了,「那是在 〇〇 年,〇〇 肥料中含有 〇〇 成分,經由 〇〇 的檢測…」這樣詳細的資料從永旭先生的口中接連而出。對於數字和數據不太擅長的我來說,無法想像他的思考回路到底是怎樣運作的。正因如此,這次永旭先生的講課對我個人來說非常引人入勝。

それはクラスの休憩時間のこと。先生が「数年前にあった化学肥料の…あれ、なんだったっけな」と呟いたとき、ちょうど隣にいた永旭さんが口を開くと、「それは〇〇年に〇〇という肥料に含まれる〇〇という成分が〇〇による検査で…」といった具合に、詳細なデータが次々に溢れ出てきた。データや数字が苦手な私には、彼の思考回路が一体どんな風になっているのか一ミリも想像がつかない。だからこそ、今回の永旭さんの講義は個人的にとても興味が湧いた。
永旭先生在學生時代進行生態系的研究。當被問到「因為喜歡生態系,所以才進入農業嗎?」時,他表現的似乎並非如此。
永旭さんは学生時代、生態系の研究をしていたという。「生態系が好きだから農業に就いたのですか?」と聞いたら、そうでもないらしい。
他回答:「我不是因為喜歡農業才做的,這只是一份工作而已。」對我來說,這句話的意思是,雖然他當然喜歡農業,但他將農業視為一份職業 而非僅僅是興趣。 這是因為永旭先生已經多年來一直滿腹熱情的投入,從早到晚地進行稻米的研究和試驗,日復一日地投入辛勤努力。如果沒有那份堅定的“喜歡”,我認為他無法持之以恆地進行這些辛苦的農務工作。
彼は、「農業は好きでやっているのではなくて、あくまでも仕事だよ」と答えた。私には、「もちろん好きだけど、あくまでも仕事であって、趣味ではない」という意味に取れた。なぜなら永旭さんは、何年も、こんなに熱心に朝から晩までひたすら研究と試行錯誤の日々を送っている。あくまでも“好き”の気持ちが無ければ出来やしないと思う。
宜蘭這個地方確實有很多種植友善稻米的農夫,甚至數量可以說是多到有些過剩。因此,需求和供應的平衡出現了問題,導致收成的稻米無法完全銷售出去。 永旭先生以前似乎為了解決這個問題,製作了用米穀粉做成的可麗露(甜點)。但是,無論他製作多少可麗露,能夠賣出的數量總是有限的,所以仍然無法完全解決問題。
ところで、ここ宜蘭には、米農家が多い。多すぎるくらいだ。そのため需要と供給のバランスがとれず、収穫した米が売り切れないという問題が出てくる。永旭さんは以前、米粉のカヌレを製作したりして、この問題を乗り越えてきたそうだ。しかし小さいカヌレをいくら作っても、その消費量には限界がある。

去年,他決定著手用稻米來釀造「地酒」。
就算是在日本長大的我,如果現在被告知要來釀造日本酒,我也可能會感到困惑。對生產過程的毫無概念,對於味道的好壞也不甚了解。再加上這還是被稱為「日本酒」的東西,對於台灣這個風土和文化都與日本不同的地方,酒莊數量也寥寥可數,缺乏可供參考的前例。

そこで去年、彼は「地酒」の醸造に乗り出すことを決意した。 たとえ日本で生まれ育った私でも、「今から日本酒を作れ!」と言われたら、どこから手をつけるべきかと戸惑うだろう。生産過程も理解していない上に、味の良し悪しもいまいちよく分からない。それに、「日本酒」と呼ぶくらいだ。日本とは風土も文化も違う台湾には、酒蔵も数える程しかないし、参考となる前例も少ない。
在問答時間,所以我來試著發問看看。 「請問永旭從一無所知的零基礎狀態開始,如何製造出優質的酒呢?」

質疑応答の時間が設けられたので、聞いてみる。

「なんの知識もないゼロの状態から、どうやって質の良い酒を造るのですか?」

「首先,從品嚐大量不同酒款開始,」永旭先生說道。我點頭表示認同。接著他繼續說道:「接著研究適合釀造酒的米種和特性,以及不同釀造方法對品質的影響……(其他內容因為太專業,這裡省略)。然後還要學習成為日本酒品酒師。」我的第一反應是:稻農也要學習成為日本酒品酒師?!但隨即又想到,他確實是個深思熟慮且一絲不苟的人,真的就像我所想的那樣。

「まずはたくさんの酒を嗜むところから始める」と、永旭さん。そりゃあそうだよな、と思い、私は大きく頷いた。続けて、「次に酒造りに合った米の品種や特性、醸造方法による品質の違い……(他はあまりに専門的な知識なので抜粋する)それから、日本酒ソムリエの勉強も。」と話した。米農家が日本酒ソムリエまで勉強するの?!と思ったけれど、やはり、徹底的に物事を突き詰める、思った通りの人だ、と思った。

這位生產者能讓消費者產生「這個人製造的東西,我可以安心信賴地享用(飲用),並且想要好好地品味一番」的感覺。
消費者に、「この人が造るものなら、安心して、信頼して食す(呑む)ことができる、嗜んでみたい」と思わせてしまう生産者だ。
若您對永旭先生的想法感到與自己的截然不同時,也希望您能像他一樣成為一個能讓人們信賴的販售者,並最終成為受人尊敬的生產者。為了實現這個目標,您決定更多地嘗試各種食材,提升對食物味道的理解。同時,您也意識到以前自認為不擅長研究和數字,現在是面對這些問題的時候了。 這是一個全新的挑戰和目標,讓您迎來了充滿希望的一天。祝福您在這個過程中能夠不斷成長和進步,實現自己的目標!加油!

永旭さんの思考回路は、きっと、私のものとはあまりにも違う。でも、私も彼のように、「この人が売っているものだったら安心して食べられる」と、人々に信頼してもらえるような販売者になりたい。そしてあわよくば、いつか、人々からの信頼が得られる生産者になりたい。

そのためにまず私は、もっともっとたくさんの、あらゆる食材を食べて味わうべきだ。それに、今まで自分は研究や数字が苦手だと思い込み、逃げていたけれど、ここにきてやっとそれらに向き合う時が来たように思う。

 

またひとつ、新たな課題と目標ができた一日となった。

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レイカの水稻班日記

宜蘭小農食譜

- 水稻クラス 第 6 回

日期:(四月第三週開講)2023.4.15

天氣:陰

這天一如往常的也是前往田區。因為在田區的各個角落,散佈著鮮豔的粉紅色福壽螺的卵黏附在上面,所以我一直在不停地將它們徹底清除。

この日ももちろん、田んぼへ向かう。田んぼの至る所に鮮やかなピンク色をしたジャンボタニシの卵がくっついているから、私は目についたそれらをひたすら除去していく。

在遠處的曾文昌老師對我喊道:「Leica,把你腳下的雜草也拔掉吧。」我慌張地四處查看,但並沒有看到任何像雜草的東西。當我在那裡猶豫不決時,老師走到我這邊,顯得有些不耐煩。

他說:「看吧,這裡有稗草!」

老師指著我腳下從秧苗旁長出的植物說道。我和身旁的其他人都傾著頭。經過老師這麼一說,確實可以看出這些雜草和稻子好像有所不同。但是,我還是無法完全確信它是不是稻子。

遠くの方から曾(ゼン)先生が「レイカ、君の足元にある雑草も抜いてしまいなさい」と私に声をかけた。慌てて足元を見回したが、雑草らしきものは見当たらない。私がその場でおろおろしていると、先生がやれやれといった様子でこちらにやってきた。

「ほら、ここノビエ(野稗)があるだろう」

先生が足元に生えていた葉を指差して言った。私と、私の周りにいたみんなが首を傾げる。言われてみればそれは確かに稲とはどこか違って見えた。でも、かといって稲ではないという確信は持てない。

當我按照老師的指示拔起它時,它帶著一條非常長的根。就像目睹了所謂的「雜草的靈魂」一樣,我靜靜地屏住呼吸。它們與稻子不同,這種植物的根部是紅色的,這是它的特徵,但由於根部通常被泥土掩蓋看不見,只有在拔起時才能顯露它們真面目。

「分辨稻子和稗草有困難,該怎麼辦?!」

看到我們慌亂的樣子,老師笑了。「只要仔細觀察就能分辨出來啦。」老師教我們如何辨別稻子和稗草

先生に言われて引っこ抜けば、それはそれは長ーい根っこが付いてきた。いわゆる「雑草魂」を目の当たりにしたようで、私は静かに息を呑む。稲と違って根本が赤いのが特徴だが、その部分は普段泥に隠れて見えないので、引っこ抜いたときに初めてその正体が顕になる。

「稲とノビエの区別がつかない、どうしよう!」

焦った私たちを見て、先生が笑っている。「よーく見れば分かるよ」と、稲とノビエの見分け方を教えてくれた。

 

上圖:左邊是水稻,右邊是雜草。你分辨得出來嗎?

[ 稗草的特徵 ]

  • 根部呈現紅色
  • 葉片比稻子的葉片更深綠色
  • 葉片中央有白色的線條
  • 生長方式呈現蔓延狀
  • 葉片邊緣沒有細毛生長

我將稗草和稻子分別握在右手和左手,盯著它們觀察了一段時間。雖然靠近並仔細觀察可以確定它們之間的明顯差異,但我仍然不明白為什麼曾文倉老師能夠在超過十公尺遠的地方就能辨別出它們,這仍然是個謎。

「分辨稻子和稗草有困難,該怎麼辦?!」

〔ノビエの特徴〕

  • 根本が赤い
  • 葉は稲の葉よりも深い緑色をしている
  • 葉の中心に白い線がある
  • 広がるように生える
  • 葉の生え際に毛が生えていない(稲は生えている)

私は、右手にノビエ稲、左手に稲を持って、しばらくの間、彼らと睨めっこをした。こうして顔を近づけて見れば確かな違いはあれど、どうして曾(ゼン)先生が10メートル以上も離れた場所からそれを見分けることができたのかは、依然として謎のままだった。

「稲とノビエの区別がつかない、どうしよう!」

焦った私たちを見て、先生が笑っている。「よーく見れば分かるよ」と、稲とノビエの見分け方を教えてくれた。

幾天後,我獨自一人在我自己管理的田區裡進行除草工作。算是對這課堂學習到的知識的複習和實踐。

首先,我會觀察長在稻子與稻子之間植物,如果符合稗草的特徵,就開始將它們拔掉移除。每拔掉兩三株,我就感覺自己的經驗值增加了,感到有些高興

——この数日後、私は自身が管理している田んぼで一人、雑草除去をしていた。クラスで学んだことの復習と、実践。

まずは稲の列からはみ出しているものたちを観察し、それがノビエの特徴と一致すれば抜くことから始める。2本3本と抜く毎に、経験値が増えたような気がしてちょっと嬉しい。

當我意識到的時候,很神奇地,我竟然能夠奇妙地分辨出稗草和稻子。

雖然我並沒有發現特別的判別方法,但我的「稗草感應器」開始對某些植物反應出”那邊生長的植物有一種特殊氣味”的訊號。這讓我意外地依賴它

有時候,有些雜草會緊緊貼著稻子生長,單靠視覺很難確信它們的身份。無論如何,只要我的「稗草感應器」稍微有了反應,我就會將其拔掉。拔掉之後,我會先確認其根部是否呈現紅色。

「你看吧!」雖然這並不是什麼了不起的事情,但我不知怎麼地感到有點自豪。

自從參加了慢島生活的水稻課程以來,我開始感受到類似關於自己的個人的小成長。

そうして気付いた頃には、不思議とノビエと稲を判別できるようになっていた。

特に革新的な判別方法を見つけた訳ではないのだけれど、「あそこに生えているの、何か匂うぞ」と、私の“ノビエセンサー”が反応するようになった。これが意外と頼りになるのだ。

たまに稲に寄り添うようにして生えているものがあって、これは視覚だけではなかなか確信が持てない。とにかく少しでも私の“ノビエセンサー”が反応したら、引っこ抜く。引っこ抜いて、根本の赤色を確認する。

「ほらみたことか」

大したことではないのに、なんだか少し誇らしい気分になる。

水稲クラスに参加して以来、こうした自身の小さな成長を感じることが増えた

隨著年齡增長,「我好像知道的事情」變得越來越多,我不喜歡這種感覺。我為什麼不喜歡呢?因為當我懂了那些「原以為知道的事情」的時候,心中並沒有出現興奮感。「啊,我早就知道了!」這種一直裝作「自己早就懂了」的狀態卻一直在我心中不斷上演。

然而,當我來到這個地方以後,反而我會自然而然地說出「我不懂!」,並承認自己的無知。當從「不知道」轉變為「懂了」的時候,我的心裡會覺得更加踏實。

雖然這並不是什麼了不起的事情,但這樣些微的改變每次都讓我感到開心。

年をとるに連れて、「知ったつもり」が増えていくことが嫌だ。何が嫌なのかといえば、「知ったつもり」でいては、実際「分かった」ときに、心が弾まないこと。「ああ、どうせそんなことかと思っていた」なんて、知ったような気を装い続ける。

しかし、この場所に来れば、私は自ずと「知らない」を口にして、自身の無知を認めることができる。そしてそれが「分かる」に変わったとき、「前までは知らなかったことが、今は分かる」という事実が明確になる。

大したことではないけれど、その度にちょっぴり嬉しくなるのだ

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レイカの水稻班日記

宜蘭小農食譜

-水稻クラス 第 5 回

日期:(四月第二週開講)2023.4.8

天氣:陰

當到達田地時,曾文昌老師立即向我們介紹當天的行程。我明知道這樣做有點失禮,但我的心思卻完全不在老師身上。因為在老師身後,有二三十隻鳥兒在田地上盤旋飛翔。我的目光完全被牢牢吸引住了。這些鳥兒只在我們的田地範圍內盤旋,並不會飛到旁邊的田地去。為什麼呢?也許是因為鳥兒害怕農藥?又或者是因為我們的田地裡有很多供鳥兒覓食的生物?我思考了很多,但對於無法分辨鳥兒種類的我來說,絕對無法找到答案
田んぼに着くと、さっそく曾(ゼン)先生が一日の行程を私たちに伝える。失礼だと分かっていながら、私は心ここにあらずの状態で先生の前に立っていた。なぜなら、先生の後ろで、2、30羽の鳥がぐるぐると田んぼの上を飛び回っているからだ。私の目はそっちに釘付け。鳥たちは隣の田んぼの方には行かず、ずっと私たちの田んぼの区域だけをぐるぐる飛び回っている。なぜだろう、鳥たちも農薬を恐れているのだろうか。もしくはわたしたちの田んぼには、鳥の食料となる生き物が数多く生息しているからだろうか。いろいろと考えてみたが、鳥の種類も判別できない私に到底答えが分かるはずもなかった。
在第一堂課上,曾文昌老師曾經說過:”只要種植水稻,自然而然就會對鳥類更加熟悉。”確實,我也覺得與以前相比,我已經養成了觀察鳥類的動作和鳴叫的習慣。然而,對於眼前飛來飛去的鳥類究竟是什麼名字,以及它們具有怎樣的特性,我還沒有足夠的經驗和知識去判斷。
最初のクラスで曾先生は、「稲作をすれば自ずと鳥にも詳しくなる」と話していた。確かに私も以前に比べ、鳥の動きや鳴き声を観察する癖が付いてきたように思う。ただ、今目の前を飛び交う鳥が何という名で、どういう性質を持っているか判別できるほどの経験値は、私にはまだない。
今天也是一樣,我們在田區除草並且進行了福壽螺(學名:桶瓶螺)的防治工作。如果忽略了這項防治工作,田地就會被福壽螺吃得荒蕪,稻米的收成量也會減少。事實上,我管理的田地在短短的兩三天內就出現了一片空地…千萬不能小看福壽螺的行動緩慢,否則會付出慘痛的代價。

この日も雑草を抜いて、ジャンボタニシ(正式名:スクミリンゴガイ)の駆除をする。もしもこの駆除を怠れば、田んぼがジャンボタニシに食い荒らされ、米の収穫量が減ってしまう。実際に私の管理している田んぼも、たった2、3日の間に一部大きな空き地ができてしまった…。タニシの動きが遅いからと舐めてかかっては、痛い目に遭う。

每塊田地上,只要細心觀察,幾乎必定能找到福壽螺的卵。特別是在稻子的下方和田地的小路上,它們呈現出如此鮮豔的粉紅色,令人難以相信這是大自然所創造的。這些約2毫米大小的圓形卵聚集成數十至數百個,即使對於喜歡昆蟲的我來說,每次碰觸都感到有些猶豫不決。但是,最近我已經有些習慣了,能夠用手直接壓碎它們。「不能讓寶貴的田地被破壞!」我用力捏起全頭,帶著這樣的想法。福壽螺卵破裂時發出的小聲和粉紅色液體黏滯地流出…這種感覺真是奇妙而令人不寒而慄。
どの田んぼにも、目を凝らせばほぼ必ずどこかにジャンボタニシの卵がある。特に稲の下部や田んぼの畦道によく見られ、それは自然が創り出したとは思えないほど鮮やかなビビッドピンク色をしている。2mmほどの丸い卵が数十〜数百でひとつの塊となっていて、さすがに昆虫好きの私でも毎回触れるのに気が引けるビジュアルだ。ところが最近はある程度慣れてきて、素手でも握り潰せるようになった。「大切な田んぼを荒らされては困る!」という思いで指に力を入れる。プチッと弾ける感触と、ねっとり流れ出るピンクの液体…これがまた絶妙に気味が悪い。

在田間完成除蟲和除草工作後,我總是退後一步,俯視整個田地。雜草已經被清除,稻子與稻子之間恢復了應有的間隙,一條清晰的線條浮現出來。當我看到這條美麗的線條時,我才能夠自我讚美地說「今天我又辛苦的工作了一天了!」

除虫除草作業が終わった後は、必ず一歩引いたところから田んぼを見渡すようにしている。苗と苗の間にあった雑草が無くなり、田んぼに元あるべき隙間が出来て線が浮かび上がる。この綺麗な線を目にしてこそ、私は「今日もしっかり働いたぞ」と自分自身を讃えることができるのだ。
下午是楊文全老師的讀書會,或者更準確地說,是關於農業的閒談會。 老師講述了他與慢島生活的創始人賴青松先生的相遇經歷。數十年前,賴青松先生還是一位完全沒有任何農業經驗的年輕人,但如今他已能自己種稻米和蔬菜,並將其完全售完。不僅如此,他現在還在這裡向新時代的年輕人教授自然農業。賴青松先生更是令人佩服的人物,他不只培養年輕農民種植水稻,自己則作為自然農法的代表,甚至足跡遍佈國外。

午後は楊(ヤン)先生の読書会。というよりも、農業に関する雑談会と言った方が正しいだろうか。

先生が、〈スローアイランド〉の創設者である賴(ライ)さんとの出会いについて語る。

十数年前までなんの農業経験もなかった若者が、今となっては自分で作った米や野菜を売り切るようにまでなった。更には今ここでこうして、新しい時代の若者に自然農業を教えている。賴(ライ)さんに至っては、米作りのために若い農民を育成し、自身は自然農法の農民代表として国外までにも足を運んでいるから驚きだ。

在那個時候,楊文全老師向我們提出了一個問題:“農夫的定義是什麼?”

現代,人們對於參與農業的方式各式各樣。有些個人種植少量農作物並販售,有些人則自己食用不出售。還有一些人組成農業團體,建立大型溫室或工廠進行大量生產和銷售。還有一些人專門從事福壽螺的收集工作,或專注於田地的整治與優化⋯⋯像賴青松先生一樣,還有人培養年輕人為農業的發展做出貢獻。

那麼,這些被提到的人是否都可以被稱為「農夫」呢?如果不是,那你的判斷標準是什麼呢?

と、その時、楊先生から私たちに問いが投げかけられた。 「何をもって“農民”とするのか」 現代において、農業への関わり方は多種多様だ。個人で作った少量の作物を売る者、売らずに自分で食べ切ってしまう者。数十人で農業グループを結成する者、大きな温室や工場を作って大量生産・販売する者。ほか、ジャンボタニシ拾いを専門とする者、田んぼの整地を専門とする者……。賴さんのように、農業発展のために若者を育成する者もいる。 では、果たして今述べられた全ての人々は“農民”なのだろうか。違うとすれば、あなたの判断基準は…?

接著課堂上的每位學員輪流回答老師的問題

輪到我開始講話,大家都興致勃勃地聽著。我認為的農夫是指「在日常生活中有從事農業工作的生活習慣,並對自己種植生產的農作物負責任的人。」

如你所知,我本人並不是農夫。雖然我每兩天就去田地一趟,但對我來說那只是一種“農業工作”,而沒有融入到我的日常“生活習慣”中

一人ずつ順番に、答えを述べていく。 私は、「生活習慣の中に農作業があり、自身の農作物に責任を持っている者」と答えた。 知っての通り、私自身は農民ではない。二日に一回は田んぼに足を運んでいるが、それは私にとって“農作業”であり、“生活習慣”とは異なるものとして存在している。

我認為”對自己的農作物負責”是我對 “判斷是否為農夫的基準” 中不可或缺的要素。我不願意將那些粗暴對待農作物,任意灑撒農藥和肥料的人視為”優秀的農夫”。真正值得被稱為農夫的是那些用心看護作物,給予作物和環境所需並負責供應及收成的人。

自身の農作物に責任を持っているかどうかも、私の“農民判断基準”に欠かせない要素である。作物をぞんざいに扱ったり、むやみやたらに農薬や肥料を撒き散らしているような人を、「立派な農民である」と認めたくはない。愛情を持って見守り、必要なものを必要な分だけ与え、できた作物を責任持って提供する者のことこそ、農民と呼ぶべきではないだろうか。

而楊文全老師則是將農夫定義為”生產者和販售者”。

“能夠完全銷售自己的農作物” 這是楊文全老師對 “判斷是否為農夫的基準” 的看法。「即使你擁有大量的農作物收成,如果無法賣出去,那就不算數。農夫需要考慮市場需求和自己的品質管理能力,並根據這些因素制定農業計劃。」這是他的說法。

楊先生のところまで順番が回り、「私の考えは…」と話し始める。みんな興味津々の表情だ。 先生は意外にも、農民を“生産者・販売者”として位置付けしているようだった。 「自身の農作物を売り切ることができる者」それが先生の“農民判断基準”。 「どれだけ作物の大量収穫を誇っても、それらが売れていなければ話にならない。需要と自身の品質管理能力を踏まえ、それに合わせた農業計画を実行するのが農民」ということだった。
聽到有人從都市搬到鄉村並開始從事農業時,很多人可能會有種想像是到一種與社會保持一定距離的自由自在生活。這種想法並沒有錯,但如果你打算以農業為生,就不能忘記農業是一份工作。農業和人類都是社會循環中重要的一環。 在那一天,我再次意識到了這些基本的事情。
都会から田舎へ移住し、農業を始める。 そんな話を聞くと、社会と一定の距離を置いた自由自適な暮らしを思い浮かべる人が多いだろう。その考えも間違いではないが、もしもあなたが農業を軸に暮らしていくのであれば、あくまでも農業は仕事であることを忘れてはいけない。農業も人も、大事な社会の循環の一部なのだ。 そんな基本的なことを、私はこの日、再認識したのだった。
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レイカの水稻班日記

宜蘭小農食譜

-水稻クラス 第 4 回

日期:(三月第三週開講)2023.3.25

天氣:陰

「哈…哈欠!」 早晨,我打了一個大大的噴嚏然後起床了。潮濕的空氣讓我的鼻子癢癢的。 看著窗外,果然如我所料,天空中飄著灰灰的雲。 我穿上長靴,拿著雨衣,便出門。
「ハ……ハックシュン!」 朝一番、大きなくしゃみをして起きた。湿気を帯びた空気が、私の鼻をくすぐる。 窓の外を見ると、思った通り、空には薄暗い色の雲が広がっていた。 私は念のために長靴を履き、合羽を片手に家を出た。
第一課堂種下種子的育苗盆中,秧苗們已經茂盛到看不見底下的土的那種地步。看到這個場景,我想起了種下種子的那天。 當天育苗盆裡只有少量的土壤和幾顆種子。但幾天後,脆弱的嫩芽冒出土壤。

第一回目のクラスで種を蒔いた育苗箱には、土が見えないほどにまで苗が茂っていた。それを見て、私は種を蒔いた日のことを思い出す。

あの日の育苗箱の中にあったのは、少量の土と、たった数粒の種。それが数日後には、土の上にひょろりと、弱々しい芽が顔を出していた。

距離種下秧苗已經過了一個月。在密集排列、且閃耀綠色的秧苗中,我摘下其中一株,發現它的細根緊緊地纏繞著土壤。當我看著這株苗在我手上時,我感到很滿足,就像看了一場大團圓結局的戲劇的感覺。
それから一ヶ月経った今日。所狭しと並んだ、緑色に輝く苗。その内のひとつをつまんで持ち上げると、幾つもの細い根が、そこにある土を余すことなくぎゅっと抱きしめていた。私はしばらく手のひらに乗る苗を見つめるうちに、ハッピーエンドのドラマを見たような満たされた気分になった。
正在做夢的我聽到文昌老師喊我們:「走吧〜差不多要開始了!」我穿上長靴,拿著裝滿秧苗的桶子,走向田區。從桶中取出秧苗補秧時,我不禁想到:「他們會不會對突然的遷移感到驚慌失措呢?」當然會啊。但我相信,他們會依據所處的環境來改變自己的形狀和姿態,堅韌地生存下去。
と、そんな夢見心地な私に、曾先生が「そろそろいくぞー。」と、声をかけた。私は長靴を履き、苗が入ったバケツを下げて、田んぼへと向かった。 補植のためにバケツから苗を取り出す。その度に、「彼らは全く思いもよらない突然の引越しに慌てふためくだろうか」と、思いを馳せた。というか、慌てて当然だ。それでもきっと、彼らは与えられた環境に合わせて姿かたちを変え、力強く生き抜いていくだろう。
下午,我們聚集在深溝的寺廟「三官宮」,這裡可以說是深溝的象徵(「ミャオ」:類似於中國傳統的寺廟,在旅遊指南等上也常見到)。寺廟在台灣各地都存在,成為當地附近居民休息的場所。在被紅色的柱子和各種龍鳳的裝飾物圍繞的廣場上,坐在紅色的椅子上,一起聊天。對於當地居民而言,這是再普通不過的日常場景,但對於像我這樣的移民來說,這仍然是一幅令人感動的景象、令我讚嘆到「這就是台灣!」
午後は、深溝のシンボルともいえる廟(「ミャオ」:観光ガイドブックなどで目にするような中華圏固有の寺)に集まった。 廟は台湾各地の至る所に存在し、各地域民の憩いの場となっている。真っ赤な柱や装飾物に囲まれた広場で、真っ赤な椅子に座って世間話に花を咲かせる。それは地元民の彼らにとってなんの変哲もない日常の一コマだが、移住民である私にとっては、何度見ても『これぞ台湾!』と思える光景である。
很快的,陳阿公從廟的隔壁房子腰桿很直的走出來。看來他負責接下來的下午課程。陳阿公說道:「來來,我們開始吧。」接著,他在廣場上的椅子很自然的坐下來。隨著他,我們也圍著陳阿公坐下。當我注意到時,我也成為了「這就是台灣!」風景的一部分了!
間もなくして、廟の隣の一軒家から、背筋のぴしっとした阿公(「アーコン」:おじいさん)が出てきた。どうやら今日の午後のクラスを受け持ってくれる方らしい。 阿公が「さあさあお話しましょうか。」と、広場の椅子へ腰掛けた。後に続き、私たちも阿公を囲むようにして椅子に座った。そうして、気づいたときには私までもが『これぞ台湾!』の風景の一部となっていたのだった。
以下是這天我聽到的陳阿公的故事的一部分。
以下が、この日私が聞いた陳阿公(チェンアーコン)の話の一部である。
———陳阿公在七歲的時候開始從事農業是
——— 農作を始めたのは7歳の頃。

那是在日本統治時代,是日本人剛開始在台灣推廣稻作的時代。當時大家沒有時間去上學,幫助父母在農田裡的工作是再自然不過的事情了。


那時候,自然農法的概念還不存在。這是因為農藥和化學肥料還不存在。可以說,每個人都是用自然農法來種植農作物的。每年的穗子一年比一年小,或是米的品質不穩定,這是農民唯一的煩惱。


在這樣的情況下,政府開始推廣化學肥料。當農民們按照指示撒下去後,稻子明顯地變得更有生命力了。「這真是太好了!」農民們大聲歡呼,並且開始不斷增加使用量,使用量達到了二倍、三倍的數量。

それは、統治時代にやってきた日本人が稲作を台湾人に広めてすぐの時代。みんな学校に行く余裕などなく、親の畑仕事を手伝うのはごく当たり前のことだった。 この頃にはまだ、自然農法という概念さえもない。というのも、農薬や化学肥料がまだ存在しな かったからだ。いわば誰もが自然農法で農作をしていた。たわわに穂が実ったと思えば翌年の穂はみすぼらしいほど小さかったり、米の品質が不安定なことが農民の唯一の悩みであった。 そんなとき、政府が化学肥料というものを普及させる動きに出た。言われた通りにそれを撒くと、稲は目に見えるように力を漲らせた。「これはいい!」と、農民たちは2倍、3倍とどんどん使用量を増やしていった。
接著發生了什麼事… 害蟲大量爆發,農民陷入困境。 該如何解決害蟲的問題呢… 於是農藥成為一項新的普及工具。 政府建議使用農藥,施用後害蟲迅速死亡。「太好了!」農民們開始增加使用量,甚至超過了原本的2倍、3倍。沒有人對農藥的安全性產生懷疑。 「畢竟政府推薦的,不可能是危險的。」
すると何が起きたか… 害虫が大量発生し、農民は頭を抱えた。 害虫被害をどう解決するのか… と、ここで新たに普及したのが農薬である。 政府の言う通りに農薬を撒くと、害虫がみるみるうちに死んだ。「これはいい!」と、2倍、3倍と使用量を増やしていった。一人たりとも農薬の安全性に疑いを持つ者はいなかった。 「なんと言ったって政府が推奨しているものだ。危険なわけがない。」
當農民們開始抱怨身體不適時,才開始注意到異樣。有人看到正在噴灑農藥的農民突然倒下,自己的視線也變得模糊、眼睛充血。吃過使用過多農藥的蔬菜後,隔天身體也出現了異常。陳阿公認為,如果繼續採用傳統農法,生產者和消費者最終都會倒下,因此他開始實行自然農法,一直到現在。
異変に気づいたのは、まわりの農民たちが体の不調を訴え始めたからだ。隣の畑で農薬を撒いている最中の農民が、突然バタッと倒れる姿を目にしたかと思えば、ついには自身の目も赤く充血して、視界が霞んだ。農薬を多く使用した野菜を食べた翌日には、体に異変が生じた。 「これ以上、慣行農法を続けていては、いつか生産者も消費者も共倒れしてしまう。」陳阿公はそう考え、現在まで自然農法をするに至ったのだった。
陳阿公的想法一直都很有道理,在他的故事中沒有包含任何信仰性的想法或固定的概念。他並不是輕易地將農薬歸為壞事、無農薬為善事等僵化的分類方式。陳阿公的答案是基於七歲開始務農至今他自己累積的經驗所得出的,比起某些機構發表的研究結果,他感到自己的答案更值得信賴。
陳阿公の考えは一貫して筋が通っていて、話の中には信仰的な考えや固定概念が一切含まれていなかった。農薬は悪で、無農薬は善、などと安易なカテゴライズをするのではない。阿公自身の経験を基に出した答えは、どこぞの機構が発表している研究結果よりも、信用に値するものだと感じた。
當談話結束後,接下來陳阿公帶領我們參觀深溝地區支撐作物們生產的蓄水池。從蓄水池往外走約50公尺處,可以看到一條大溝。仔細看,可以發現水面有微微波動,原來是地下水湧出的結果。
話を終えると、次はこの地域一帯の支えとなっている貯水池へと私たちを案内してくれた。その貯水池から50メートルほどのところには、大きな溝があった。目を凝らして見てみると、水面がふつふつと波打っていることに気付く。水が地下から湧いているのだ。
深溝有一些美麗的水塘,也因此成為一個著名的旅遊勝地。原來離我們和農田很近的地方就有湧泉,而且這些湧泉正是深溝地區每一塊田裡的水的來源,這樣的想法我從來沒有想過。我已經在宜蘭住了大約三年了,但我的思維還是有點都市化的想法,以為水是從水龍頭出來的。
この地域には、いくつかの綺麗な溜池があり、観光地としても有名だ。だけど、田んぼと田んぼの間の、こんなに身近な場所からも水が湧いていて、更にはこの地域にある数々の田んぼに流れている水が湧き水だなんて、考えたこともなかった。 ここ宜蘭に住んで約3年になるが、私の思考はまだまだ「水は蛇口から出るもの」という都会的な考えが少なからず残っているのかもしれない。
接著我們去了深溝其他的水源地。接下來我們參觀的地方位就在馬路旁,那裡有一條清澈的水流。陳阿公輕鬆地跨過一個小混凝土障礙,逆著水流用舀了一桶水,然後回到了我們所在的路上。
他にも水源となる場所はある。次に案内された場所は公道の脇にあって、そこには透き通ってキラキラとした水が流れていた。阿公はコンクリートの小さな隔てを軽々と乗り越え、水流に逆らうかたちでバケツいっぱいに水を汲み、また私たちのいる道路へと戻ってきた。
陳阿公一邊向我們展示裝在水桶中的清澈水,一邊講述這條水源曾經也有差一點遭受到建築工程而被封堵的危機。幸好當時農民們積極抗議,這股水流最終得以保留下來。
阿公はバケツに入った綺麗な水を私たちに見せながら、当たり前に流れているこの水も、あるとき建築工事によって塞がれてしまう危機にあった、と話した。幸い、当時の農民たちによる熱心な抗議により、水流が塞がれることは免れたそうだ。
在我的腦海中浮現出「農作物是大地賜予的恩惠」這樣耳熟能詳的一句話。”水”也是人類無法擁有的偉大恩惠之一,卻仍然賜予這片土地和人們祝福,繼續滋潤著他們。如果沒有這水,宜蘭的米也不會變得這麼美味。
私の頭の中に「農作物は大地の恩恵を受けてできている」という、よく耳にするような言葉が浮かんだ。“水”は人間が所有することのできない偉大な恩恵のひとつであり、それは現在もこの地に恵みを与え、土地と人々を潤し続けている。この水がなければ、宜蘭の米もここまで美味いものにならないだろう。
就這樣結束了一天行程的時刻,正好開始下雨了。雖然要淋著雨回家,但並不感到沮喪。早上就是為這個下雨時刻準備了雨衣。而且,我覺得這場雨也會變成湧泉,繼續賜予我們和土地恩惠,所以這樣的事情再怎麼樣感激也不為過。
こうして一日の行程を終えたところで、ちょうど雨が降り始めた。雨を浴びながら家に帰ることになるが、憂鬱ではない。 こんなときのために朝、合羽を用意してきた。それに、この雨がまた湧水となって私たちに恵みを与えると思うと、こんなにありがたいことはない、と思うから。
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レイカの水稻班日記

宜蘭小農食譜

-水稻クラス 第 3 回

日期:(三月第二週開講)2023.3.11

天氣:啨

距離上次來到田裡,已經過了一個禮拜。仔細觀察後,可以發現一些秧苗沒被確實插在田裡或因為連日強烈的艷陽而死亡。每個缺少秧苗的部分都大約只有我手掌大小,如果只是茫然地看著整塊田區,你可能根本不會注意到這些問題。
前回から一週間が経った、私たちの田んぼ。よく観察すると、苗を植え損ねている箇所や、連日強い陽射しを浴びたせいでいくつかの苗が駄目になっている箇所があることに気付く。それぞれの苗が欠けている箇所の面積は、私の手のひらの大きさほどでしかなく、ぼーっと田んぼ全体を見渡しただけならばきっと気にも留めないだろう。
我小心地走在苗和苗之間,進行補秧。
だけど実際のところ、そこには本来、稲一株(苗3〜4本)が植えられ、おおよそ茶碗半分ほどの穂が実る可能性があるのだ。決して無視はできない。
這裡的秧苗,都是上週才從育苗箱移植至這片水田,根部還並不穩固,而且不可靠。每當水波在我腳下湧起,它們就會搖搖晃晃地嘗試站穩腳跟。這種可愛的滑稽感讓我十分喜愛。
ここにいる苗はみんな、先週に育苗箱からこの地(田んぼ)へ引っ越してきたばかりでまだ根の張りが浅く、頼りがない。私の足元からさざ波が湧き上がる度に、体を傾けながらなんとか踏ん張ろうとしている。その滑稽さがなんとも愛おしい。
在另一片水田,楊文全老師正駕駛一台裝有類似鏟子的大型拖拉機(後來才知道那就曳引機),正在進行整地作業。整地是指把水田耕作區域弄的更平坦,並混合土壤和水,以創造最適合種植的環境。
別の田んぼでは楊(ヤン)先生が、後ろにシャベルのようなものが付いた大きなトラクターで、代掻きをしている最中だった。代掻きというのは田んぼを平たくし、さらに土と水をかき混ぜて田植えに最適な環境を整える作業のことである。
試著坐進曳引機的駕駛座,我發現到處都是彩色的手把和開關,對我這個連手排車都不會開的人來說,是一個未知的領域。
試しにトラクターの運転席に座ってみると、至る所にカラフルなハンドルやスイッチがあって、マニュアル車も運転できない私にとってそこは未知の空間だった。
曾經有一位農民說過:「農民從來不會閒著。身邊總有許多事情需要處理和學習。」現在我終於明白這句話的真正意義。我從未想過,種植水稻所需的技能之一居然是“駕駛曳引機”,這讓我很驚訝。
いつか、ある農家の方が「暇な農民はいない。いつも目の前にすべきこと・学ぶべきことが山ほどある。」と言っていたが、その意味が今になってはっきりと理解できる。田植えに必要な技術の中に“トラクターの操縦”の項目があるなんて、思いもしなかった。
下午是第一次參加美虹姐的料理課程
午後は、第一回目の美虹(メイホン)さんの料理クラス。
在課程開始之前,美虹姐問了兩個問題:“為什麼要吃”和“對你來說,料理是什麼”
クラスをはじめる前に美虹さんが問いかけたことが二つ、「なぜ食べるのか」、「あなたにとって、料理とは」。
因為當時無法很好地表達自己的想法,所以現在在這裡整理一下。
自分の考えをその場で上手く伝えることができなかったので、ここにまとめようと思う。

「吃是為了什麼?」

「なぜ食べるのか」

我當時的即興回答是「因為身體需要」。
私がその場でとっさに答えたのは、「体が欲するから」。
我喜歡聆聽身體的聲音來考慮當天的菜單。當胃腸不適時,身體會說「想要吃豆腐味噌湯」,有時也會說「非常想吃肉!」然後隔天生理期就來了,這些都很有趣。
体の声を聞いてその日の献立を考えることが好きだ。胃腸が弱っているとき、体は「豆腐のお味噌汁が飲みたい」と言うし、めずらしく「無性にお肉が食べたい!」と言ったかと思えば翌日ちょうど生理が来たりするのもおもしろい。
舉個例子,當我還住在日本的家裡時,每次從外面回家,我想吃的當天菜色總是已經準備好了。問媽媽怎麼知道,她總是回答說:“就突然想吃。” 和母親一起共同生活的兒女,意見總是神奇地和母親完全一致。這並不是“補充營養”或“合胃口”這樣的詞彙可以解釋清楚的。
例えば、私がまだ日本の実家に住んでいる頃、外から帰宅するといつも食卓には私が思うその日食べたいものが用意されていた。なぜかと母に聞けば、「急に食べたくなっちゃって。」と言う。毎日の生活を共にする母と、母から生まれた娘の体は、いつも不思議なほどぴったりと意見が合うのだった。“栄養補給”や“舌が合う”という言葉で説明がつくものではない。

——「吃是為了什麼」

有些人回答說「因為好吃所以吃」,但對我而言,首先是聽從身體的需求而吃。只有當我吃到身體渴望的食物時,才能真正從心底感受到食物美味。(… 如果我說出這樣的話,是否會被認為是一個理論的、煩人的人呢?)

——「なぜ食べるのか」

「美味しいから食べる」と答えた人もいたけれど、私はまず、体が食べたいと言うから食べる。体が欲するものを食べた時にはじめて心の底から美味しいと感じられるから。(…などというと、理屈っぽく面倒くさい人間だと思われるのだろうか。)

——「料理對你來說是什麼?」

——「あなたにとって、料理とは」

我認為這是“尊敬的心”。 尊敬天地、生物、農民、烹飪者、食用者的心。 懷著尊敬的心對待食材。洗、切、烹調。烹飪者尊敬食用者,食用者尊敬烹飪者。只要這樣做到,即使是簡單的菜肴也可以做得美味。
私は、「敬う心」だと思う。 天と大地、生き物、農民、料理する者、食する者を敬う心。 敬う心を持って食材を扱う。洗って切って火を入れる。料理する者は食する者を敬い、食する者は料理する者を敬う。それさえできれば、簡単な料理も見事に美味しくできあがる。
即使是使用相同的食材、份量和方法製作出的菜餚,如果忘記了敬畏之心,也無法做出美味的菜餚。這不僅僅是一句空洞的話,而是我每天都深有體會的事情。在工作壓力大、心情不穩定或是有什麼不如意的日子,無論做什麼菜都會讓人感到不夠滿足。就算吃下去,也會感到美味不足的感覺。當我思考「缺少什麼」時,總是回到「敬畏之心」,而不是鹽或糖。
同じ食材、分量、要領で作ったものであっても、敬う心を忘れていては美味しいものはできない。これは綺麗事でもなんでもなく、私が日々痛感していることだ。仕事に追われて心に余裕がなかったり、何か不満がある日なんかは、何を作っても物足りない味になる。食べても、美味しいが足りないように感じる。「何が足りないのか」と考えたときにいつも辿り着くのは、塩や砂糖ではなく、“敬う心”なのだ。

因為我的職業性質,常常讓我意識並反思「對我而言飲食是什麼」,但我從未把這些想法寫成文字,現在我終於能夠在此留下自己目前的想法,這真是太好了。隨著經驗的增長,我的想法也一定會改變,哪一天當我再次回顧翻看這些文字時,希望會覺得「當時的我雖然說出了一些想法,卻顯得那時候還太年輕了。」

職業柄、「私にとって食とは何か」を常に意識し考察しているのだが、こうして文字に起こすことはなかったので、今回ここに今の自分の考えを残すことができて良かった。 きっと、様々な経験を重ねると共に考えも変わり、いつかこれを見返したときに「分かったようなこと言ってるけどまだまだ未熟だな、私。」なんて思うのだろう。そうであってほしいな、と願う。
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レイカの水稻班日記

宜蘭小農食譜

- 水稻クラス 第 2 回

日期: (三月第一週開講)2023.3.4

天氣:啨

「 陰天。」

剛醒來,我立刻檢查了天空的情況。今天是插秧日,是種稻環節最精彩的部分。如果能避開雨那就好了。幸運的是,即便使用手機再次查看天氣預報,也沒有看到 下雨 的標誌。

「 太好了!」

「曇り。」
目覚めてすぐ、私はいちばんに空の様子を確認した。なんといっても、水稲クラスの醍醐味ともいえる田植えの日だ。できることなら雨は避けたい。幸い、スマホでこの後の天気予報を見ても、雨マークは付いていなかった。
「よし。」

我到了田區,開始插秧。插秧的時候身體要維持彎曲的姿勢,左手掌放著秧苗 。後退一步插下苗,再後退一步再插下苗,就這樣一直反復著。正當我全神貫注的時候,突然發現我的雙腳緊緊地被泥土固定住,然後上半身開始往後倒。等我意識到的時候,已經太遲了。

“我要跌倒了!”

田んぼに行き、田植えをはじめる。私は中腰の姿勢で、左の手のひらに苗を乗せ、一歩後ろに下がっては苗を差し、一歩下がっては苗を差し、を繰り返す。集中していると、がっちりと固定された私の両足をよそに、上半身だけが後ろへと傾いていく。そして、危ない、と思ったときには遅かった。

「こける!」

——啪擦!黑色的水花飛濺起來,冰冰的泥水流進我的褲子裡。屁股直接浸泡在田裡動彈不得。在同伴的注視下,我努力地站起來,深深地吸了口氣。接下來我會更加小心,接著再次以同樣的姿勢繼續插秧。

ーーバシャン、と黒い水しぶきがあがり、ひんやりした泥水がズボンの内側までへと流れ込んだ。お尻が地にくっついて離れない。私は仲間に見守られながら、よっこらせと立ち上がり、深く、深呼吸。今度は慎重に、また同様の姿勢で田植えを繰り返す。

手工插秧整個水田需要相當長的時間和耐心。這雖然是我從一開始就清楚的事情。但我在插秧當下還想「哇… 好累唷…」。

這時候,最終老師把插秧機開進來田裡了。

剛剛我們花費的大量時間做的 “手持秧苗並一株株執行栽種的工作”,對於插秧機來說很簡單,每一株秧苗只需要 1 秒鐘的時間。它會發出輕快的聲音,不停地在水田裡穿梭,短時間內就能完成插秧的工作。

順便提一下,這種插秧機是在1960年代誕生的。當時,因為高強度的農物工作容易使得很多農夫的腰或腳踝受傷。這個發明對他們可說是救世主,我能想像他們感到十分高興的樣子。

そもそも、水田のすべてを手作業で植え尽くすためには、かなりの時間と根気が必要だ。満を持して、ここで田植え機が出動。さっきは時間をかけた、適量の苗を持つ・植えるという作業は、田植え機にかかれば1束あたり1秒も必要としない。カチッ、カチッ、と軽快な音を出しながら、休むことなく水田の中を行ったり来たりして、瞬く間に田植えを完了させる。ちなみに、こうした田植え機は、1960年代に生まれたのだという。当時、大変な田植え作業で足腰を痛めた農民たちが、この救世主とも言える発明品に歓喜している姿が目に浮かんだ。

下午,我們聽了〈榖東俱樂部 〉及〈慢島生活〉的創立者 賴青松先生的經歷。而我們正坐在聆聽的這個空間,正是〈慢島生活〉當年還沒有創立之前就存在了

午後は〈スローアイランド〉の創設者である賴(ライ)さんの来歴について話を聞いた。まさに今わたしが話を聞いているこの空間、〈スローアイランド〉がまだ創設されていなかった頃の話。

當我們在室內結束了談話後,我們與賴青松先生一起坐上卡車,穿梭在深溝村的小路間。賴青松先生在開車時也沒有休息,一路上談論著關於深溝村和附近農家的故事。

我坐在後座看著深溝村,一邊聽著賴青松先生的談話。突然間我意識到,「到今天為止,賴青松先生再深溝村所看到的景象、親身感受過的那些事物,無論怎麼表達都傳達不了全部的,是某種無法用言語完全表達出來的感覺,是我沒有經歷過,便無法深刻體會到的經歷」。

室内での話を終えると、私たちは賴さんと一緒にトラックに乗り、深溝村の散策に出かけた。賴さんは運転中も休むことなく、村や近隣の農家さんについての話をしていた。私は後部座席から深溝村を眺め、運転席の方に耳を傾ける。するとなぜか、「賴さんが今日まで目にしてきた光景や、肌で感じてきたそれらは、あらゆる言葉を駆使しても全てを伝えきることのできない何かである」と悟った。

這對於教我種田的曾文昌老師也是同樣的情況,每當老師不吝嗇地分享農業和生物學相關的知識給我時,我就會對他所擁有的那些積累和經驗感到驚嘆不已。有時候反而會因為老師分享的大量信息和經驗而覺得有些洩氣。

これは田植えを教えてくれている曾(ゼン)先生に関しても同じで、毎回、先生が農業や生物に関する知識を惜しまず分け与えてくれればくれるほど、私はその土台となっている情報量や経験値の多さに、うろたえてしまうのだった。

在談論關於農業和土地的話題中

賴青松先生說:“用身體感受氣候的能力也是農夫必備的技能之一。”

我感到羞愧地今天早上還拿出手機查詢天氣預報。然後我反思自己:“現在開始也不晚。”

從第二天開始,每當我感受到氣候變化時,我就會特別注意當時的氣溫和濕度。一點一滴累積起來的經驗,可能成為未來某一天所需的智慧和力量。這也許就是我從老師們所學到的其中一點。

農業と風土についての話の流れで、賴さんが言った。

「肌で気候を感じ取ることも、農家に必要な能力の一つだよ。」

今朝すかさずスマホを取り出し天気予報に頼った自分を恥じる。そして思い直す。「今から始めればいい。」

翌日から、私は肌で気候の変化を感じる度に、その時々の気温や湿度を確認するよう気を付けている。

小さな小さな経験の積み重ねが、いつかやってくるその日のための知恵や力となる。というのが、私がここで先生たちから得ている学びの一つなのかもしれない。

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レイカの水稻班日記

宜蘭小農食譜

-水稻クラス 第1回

日期:(ニ月第二週開講)2023.2.11

天氣:啨

宜蘭 在台灣是因為降雨量豐沛而聞名的,在這一天卻是晴空萬里。我走過了幾座橋,一邊看著清新的田地和山峰,也一邊享受著清晨的陽光,並朝著深溝村前進。我突然想到,如果沒有參加水稻班的話,或許我就沒有機會欣賞到這樣美麗的風景了。難道這樣美麗的景色也是課程的一部分嗎?當然不是,但早晨的深溝村美得令人有這樣的想法。

台湾の中でも特に雨が多いことで有名な宜蘭が、この日は清々しいほどの快晴。朝の日差しを浴びて気持ちの良さそうな田畑や山々を横目に見ながら私は二つ三つと橋を越え、深溝村に向かう。ふと思った。もしも水稲クラスに参加していなければこの景色を目にすることもなかった。ならばひょっとしてこの景色を見ることもカリキュラムの一部なのでは…。もちろんそんなはずはないけれど、そう思えるほどに早朝の深溝村は美しかった。

慢島生活水稻班開班第一天先進行自我介紹。參加學生總計有10人,動機有「對農業有興趣」、「厭倦了城市生活」、「希望保護城鎮景觀」、「想要給孩子安全的食物」等各式各樣的理由,但是「想要學習」的強烈意志是所有人共同的,我覺得即將要與這樣擁有相同目標的夥伴共度五個月的水稻課程是非常珍貴的。

クラス初日は自己紹介から。学生は私を含め計10名、参加動機は「農業に興味があるから」、「都会の生活に疲れたから」、「町の景観を守りたいから」、「子供に安全な食物を与えたいから」など様々ではあったが、「学びたい」という強い意志は全員に共通していて、そんな同じ目標を掲げる仲間と過ごす五ヶ月間の課程はとても貴重なものになるだろうと感じた。

首先,老師先給我們出了一道題目。有三張照片,能分辨那麼哪張圖片裡是水稻嗎?而其中哪兩張又是年輕的雜草呢?

先生が私たちにある問題を出した。写真は3枚、さて稲はどれでしょう。うち2枚は若い雑草らしい。

上圖:右邊是水稻,左邊是雜草。你分辨得出來嗎?

依次觀看每張照片…水稻跟雜草根本看不出來。每張照片看起來都像雜草,也看起來像水稻。每個人都瞎猜著回答:“是右邊!“ “但左邊好像也不錯!”老師終於受不了了,揭曉了答案:中間那張照片其實才是水稻。即使再看一次照片,仍然完全沒有概念。 就連是雜草還是稻穗都分不清楚的我,是否能夠讓水稻生長到結實呢…感到有點不安。但是老師說,開始種植水稻時,如果整齊的將水稻排成一條直線,後面就很容易判斷出邊上長出來的雜草是不是雜草。

それぞれの写真を順に見つめる…が、わからない。どれも雑草に見えるし、またどれも稲に見える。みんなが口々に「右!」「やっぱり左!」と半分当てずっぽうで答えていると、先生が痺れを切らして回答発表、答えは真ん中。そう言われてもう一度写真を見比べてみるが、全然ピンと来ない。雑草と稲の見分けもつかないような私にいずれ穂を実らせるなんてことが出来るのだろうか…と、少し不安になる。が、先生曰くはじめに稲を植えるときにきちんと真っ直ぐ揃えておけば、後々横にはみ出てきたものが雑草だと簡単に判断できるとのこと。

啊!太好了。看來不必擔心誤把水稻拔掉了

ああ、良かった。これで間違えて稲を引っこ抜く心配はしなくて良さそうだ。

接下來,學習種子的篩選方法和發芽方法,然後在育苗箱中播種發芽的水稻種子。我一直認為最好在即將發芽的種子上面覆蓋的土應該越細越好,這樣芽頭才容易生長的好,但令人放心的是,即使沒有過度保護他們,芽也會自己長出來。

種の選別方法や発芽方法を学び、育苗箱に発芽した稲の種を蒔く。芽の頭が出て来やすいように上部にかける土は細かい方がいいのだと思っていたけれど、そこまで過保護でなくても芽はなんとしてでも自力で頭を出すというから心強い。

穿上水田鞋,前往”我們的”水田。踏入田地的第一步,感覺應該很涼爽,但因為穿著長靴,沒有特別感受到溫度差。雖然大家都大喊“鞋子快脫下來了!”、“無法行走!”,但臉上還是洋溢著微笑看起來很開心。我一步步踏著沉重的腳步,心裡想著(接下來的半年請多多關照),並向初次見面的水田和田間豐富的生物們打了個招呼。

長靴を履いて”私たちの”水田へ向かう。田へ足を踏み入れる。はじめの第一歩。ひんやりするかと思ったけれど、長靴を履いているから特に温度差は感じなかった。「靴が脱げそう!」「歩けない!」とみんな悲鳴をあげながらもなんだかはしゃいで見える。私は着々と重い足を前に踏み出しながら、心の中で(これからの半年間どうぞよろしくお願いします)と初対面の水田やそこに住むものたちへの挨拶を済ませた。

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